郷土人物百年詩−布田保之助−
@矢部の高原谷深く
水利乏しき白糸の
郷(さと)の悲願を一身に
担いて起てる保之助
A地形は荒く道難(かた)く
行くてを阻(はば)む断崖に
祈りをこめて築きゆく
轟(とどろき)川の音高し
B不屈の闘志執念の
命にかけし石の虹
通潤橋(つうじゅんきょう)に今もなお
見ずや男の立ち姿
※名は惟暉、晩年島一葦と改む。矢部手永の惣庄屋たること二十九年、水利事業に功最も多く、通潤橋のほかにも京女郎土手、中島井手等々多数の業績が今なお役立っている。
※通潤橋は石造の眼鏡橋で高さ約20.5m長さ80m、一八四九年から約五年の歳月を要したが、これによって約百ヘクタールの水田が開かれた。
※落成の日には死を覚悟して場に臨んだが、見事通水したのを見て感激に咽(むせ)びつつその水を飲んだといわれる。明治六年四月歿、73才。贈従五位、布田神社に祀らる。