母のいる風景
山口純彦
冷え冷えと阿蘇山颪吹き初めて散る山茶花に秋は更けたり
母の若い日の歌である。多分三十歳前後の作かと思われる。この歌は、私に幼い日に見た幾つかの母のいる風景を思い出させる。
青桐の木の下で洗い張りをしていた母。祖母と菜園で働いていた母。寒い冬の朝、まだ暗いうちから聞こえていた母の汲むつるべの音。いつもあかぎれに悩んでいた母の手。
思い出される風景には、常に、いつも涙をいっぱいたたえていた、涙をふいていた母がいる。
凍土踏み子等が墓処に急ぐなり観音経を今朝も誦さんと
大正十四年という年は、母にとって悪夢の年であったに違いない。この年の早春、母は僅か二か月余りの間に、光彦とみどりという二人の愛児を次々に亡くした。その間に私が生れた。こういう経験は、誰にでもあることではない。後年、母はよく血の道に悩まされたが、きまって春先であった。
今でも、我が家の野墓を訪うて、幼い兄と姉の小さな二つの墓に香花を供えるたびに、終生消えなかった母の悲しみをかみしめる。
面ほてり深く眠れる子が顔を夜半の灯陰にいとおしみて見る
眼がさめると、母はきまって私たちの枕元でぬいものをしていた。暗い、わびしい電灯の灯陰には、いつも変わらぬ慈悲深い永遠の母の貌があった。遠い日の記憶の中の母の顔は、若くて美しく、常に少し淋しい。
母が作った短歌はまだ幾つか私の記憶の中に蔵い込まれていたが、今思い出そうとすると心細くも忘却の闇の中におぼろげになってしまう。生前に記録しておかなかったことが悔やまれてならない。
(長男)