母のいる風景

山口ユキエ

 阿蘇の霧雨の中に、母が生前一番愛した野茨の花が白くけぶる五月と、ビッタレおどしの風が吹きはじめる九月の終わりになると、母は何時も両手に提げきれない程の荷物を持って、もう道の向うの方から、大声で子供達の名を呼びたてながら、私達の家へやってくるのが常だった。

 中へ入るなり、風呂敷の中から、一家五人の下着から上着まで、衣更えに必要なものを―、お菓子、果物、かんづめ、調味料、果ては、自宅の冷蔵庫の中からゴッソリ引越しさせて来たらしい品々を、手あたり次第に次々と、手品師のように取り出しながら、しゃべり止まない母だった。

 すっかり興奮した子供達は、飛びかかるやら、抱きつくやら、髪もバラバラにされて、それでも幸せそうな様子だった。

 生母を十歳で亡くした私は、その後も不幸な目にあったりしたこともあって、あんまり明るい性格ではなかったが、そんなこともあって、母は私に特に気をかけてくれていたのに違いない。

 こり性だった母は、夫のシャツが少ないと見るとシャツばっかり、何枚も何枚も整えてくれて、それが如何にも母らしく、私達はいつも泣き笑いした。特に、ゴムひもが必ず入れてあって、その気持ちの温かさに、私は思わず涙を流しては、母に叱られた。

 みんなに、こんなにしてやりたいためにだけ働くのだと、いつも言い言いしていた。

 自分の気持ちの中にたまったことを、みんな吐き出してしまうと、母はさっと来た時のような早さで、父の待つ熊本へ帰って行った。

 五月野(さつきの)に愛しき白き花咲けり()がために摘まむ野茨(のいばら)の花

(長男純彦妻)

 

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