生誕地記念碑2005.5.4更新

[建立年月日]

[所在地]阿蘇市一ノ宮町

[碑文]

 歌おう校歌 声高らかに

 山口白陽生誕の地

 白陽先生は 本名経光 一八九八年(明治三十一年)一月二十五日生まれ 一九三一年 処女作「火の国小唄」発表以来 校歌 軍歌 民謡 町村歌 社歌等 作詞六○○を越え 今も広く県民に愛踊されています

 また 小説 伝記 随筆 狂歌 詩 狂句等あらゆる分野にまたがる作品創作の第一人者と言われ さらに 「モッコス語録」 「ユーモア熊本事典」その他の著作もあり 郷土雑誌の「呼ぶ」は月刊誌として二二二号を数えました 熊本県の文化に貢献すること大で 熊日賞や熊本県芸術功労者 その他の受賞もあります 一九八○年(昭和五十五年)六月十八日 八十二才で熊本市に没しました

 ゆかりある 県下有志の拠金により 青少年健全育成の観点に立って 先生が生まれ 夢多き少年 青年時代を過ごした この地に碑を建て その業績を顕彰します

 

[裏面]

 碑文建立に貢献した人々の氏名。

 

[副碑1] 妻 山口月子 句碑

 大木の 柿輝かせ 阿蘇晴るる

 

[副碑2] 次男 山口純彦 歌碑

 戦歌集『葬りの丘』

 あらがねを陽(ひ)に光らせて次々に敵戦車群は我に真向う

 砕けとぶ弾丸(たま)のあふりに打ち伏して友の呻(うめ)きをただ聞いており

 這(は)い寄れば草を掴(つか)みし友の指掴みしままにこときれており

 よき人は皆死にたりき温顔の浜島二年兵もその一人にて

 柞葉(ははそは)の母恋うままに稚児(ちご)めきて明日は征(ゆ)く夜を抱かれて寝し

 

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