山口白陽とは何者か?館長のごあいさつ
2005.3.20
今、日本で生活している人で、学校に行ったことがない、という人はあまりいないでしょう。そして、入学式と卒業式くらいには自分の学校の校歌を歌ったことがあるでしょう。でも、その校歌を誰が作曲し、誰が作詞したかということまで覚えている人はあまりいないかも知れません。熊本県で学生生活を送られた皆さん、もし当時の生徒手帳がありましたら校歌のページをご覧になってください。かなりの方々が、作詞者として山口白陽という名前に出会うはずです。
戦後の一時期、熊本県の非常に多くの学校の校歌を作詞した山口白陽という詩人がいました。現在ではほとんど忘れ去られています。が、映画の原作になった新聞小説を執筆したり、「軍神」と呼ばれた人の伝記を記したり、熊本方言の研究書を著したり、熊本の情報誌の元祖ともいえる『呼ぶ』を主宰したりと、その活動は多岐にわたりました。
一方、彼の流した数々の浮名も当時は有名でした。また、神風連の評価を巡って論争を繰り広げたこともあります。これらの言動が当時の熊本文壇のメンバーとの摩擦の原因になったことは疑いがありません。彼がその死後まったく語られることがなくなったことにはこうしたことが関係しているのかもしれません。
私はある幸運によって山口白陽の遺した作品に多く触れることができました。そして、この多彩な才能をこのまま埋もれさせてしまうのはもったいないと考え、ここにバーチャル資料館「-愛とユーモアの詩人-山口白陽文学館」を開設することにしました。みなさん、どうか白陽文学をゆっくり楽しんでいってください。
なお、このHPに引用した白陽の詩・文は、歴史的仮名遣いで発表されたものであっても、全て現代仮名遣いで表記してあります。旧漢字についても同様です。また、発表当時は漢字で表記するのが慣例であった語も、現代では仮名表記が普通であるものは現代風の表記に改めました。若い方々に少しでも白陽文学に親しんでいただきたいという気持ちからです。