火の国小唄歌碑2005.4.5更新
[建立年月日]1977年10月30日
[所在地]熊本市花岡山公園
[碑文]火の国小唄
[副碑表面]白陽碑をたたえる-文と書 後進 宮本旅人-
その所在この背景、その構図この偉容!いづれの点どの角度から見ても一点の非の打ち所のない白陽碑。昭和年代半世紀に亘り郷土文化の指導者として、また小説、詩歌、俳句、あらゆる分野に跨がる作品創作の第一人者として、山口先輩が同輩後進の人々を啓発された功績は偉大である。広く県民に与えられた幸福と恩沢は無限である。
本碑建立の報伝わるや、県の内、国の外、あらゆる階層あらゆる社会の人々が挙り競うて寄せられた真心と感謝!その結集した姿こそ、まさにこの白陽碑である。
拙歌一首
わが友よ有明望み阿蘇を見てとこしへ立つやこの山の秀に
一九七七年夏 旅人
[副碑裏面]郷土詩人山口白陽先生-今村恒吉-
先生は明治卅一年一月阿蘇一ノ宮町に生る。大正六年熊本県第一師範学校を卒業して教職に就かれた私はその最初の教え子である。先生時に十九歳。
昭和六年処女作”火の国小唄”発表以来今日まで軍歌、校歌、民謡、町村歌、社歌等作詞六〇〇を超え広く県民に愛誦されている。一方伝記、小説、随筆等の著書も多く特に”もっこす語典”は肥後方言解釈の名著として知られる。この間昭和卅五年一月郷土雑誌”呼ぶ”を創刊して現在に及び異色ある編集を以て遠く海外まで愛読されつつある。
先生の作品はすべて郷土に取材され、その発想は常に郷土愛を原点にしているところに特色があり、冠するに郷土詩人を以てするは最もところを得たものと信ずる。昭和五十二年度熊日賞受賞。
昭和五十一年九月”呼ぶ”二〇〇号大会に当り、先生五十年の業績をたたえるため歌碑建立の議が起りあまねく国の内外に同志を募って空前の反響を呼んだ。即ちここに碑面をかりてその代表作”火の国小唄”を刻み、ふるさと讃歌として後代に伝えるものである。