第二部　掖河(えきが)戦闘の歌

　　ソビエト軍侵入

遺(お)きてゆく国境陣地大方(おおかた)は死にしといえど残りは知らず

救うべくもあらねば遺(お)きてゆくという知る友多し国境陣地

ソ連軍侵入を伝える大連日日新聞。多くの日本人にとっては寝耳に水だったが、関東軍関係者は事前に知らされており、いち早く内地に向かって逃亡した者も多かった。

　　慰安所(いあんじょ)の前を過ぐ

胸傷(いた)み笑顔(えがお)目にしみ慰安婦(いあんふ)の手を振る前を隊伍(たいご)過ぎゆく

別るれば護(まも)る者なき女らを袖(そで)ふり交わし死兵(しへい)過ぎゆく

江湾鎮(上海)の慰安所。日本軍公認の売春宿である。日本人の娼婦のほかに植民地の各地から騙して連れて来られた者も多数いた。管理人は実際に慰安所に行ったことのある幾人もの人からそのような女の存在を聞いたことがある。

　　駅頭(えきとう)夜景

泡(あわ)のごとき兵のざわめき死地(しち)にいる思い次第に深まりてゆく

哨兵(しょうへい)の指さすかたにあかあかと鶏寧(けいねい)燃ゆるホームを越えて

牡丹江駅。牡丹江省の中心地であった。

　　初めて敵機と遭(あ)う

青空に浮べる敵機息つめて見守る時に銃火(じゅうか)きらめく

機首(きしゅ)我に少しくそれて草原(そうげん)に白き光をはきつくしゆく

満州侵攻時のソ連主力戦闘機Yak-9。

　　最初の戦死者

戦闘帽未だかぶりてもの言わず空を見ており殺されし人

おのがじし心鬱(うつ)して兵の列殺されし人の前を過ぎゆく

　　八面通(はちめんつう)駅

降り立ちし野中(のなか)の駅は燃えいでぬ高粱(こうりゃん)の葉末(はずえ)に頼りもなしに

炎々(えんえん)と燃えさかる駅をこりずまに旋回(せんかい)し旋回し射つ頭上(ずじょう)の敵機

高粱。満州の主要な穀物であった。しかし戦後、日本人の持ち込んだ米が人々の主食となり、満州は水田の海となった。現在では酒造用に細々と作られているだけだという。

　　野中(のなか)の一本道(いっぽんみち)

遮(さえぎ)るものもなき野中(のなか)の一つ道敵のあくなき掃射(そうしゃ)にまかす

追わるるままに装具を捨てゆけば雑嚢(ざつのう)と銃と終(つい)に残れる

　　八面通(はちめんつう)の街路(がいろ)にて

湧(わ)きたぎつ火を背に負いて奔(はし)るとき狭き通りはるつぼの如(ごと)し

狙(ねら)い射(う)つ醜(しこ)の赫顔(あかがお)を飛行機の風防(ふうぼう)の中にまざまざと見つ

　　主力急追

世の常(つね)の行軍(こうぐん)ならず夜をかけて雨を冒(おか)して歩き止(や)まずも

小休止(しょうきゅうし)すなわち倒れ道に眠る雨は瞼(まぶた)に頬(ほお)に流るる

腹ばいて轍(わだち)に溜(た)まる泥水をすすれば渋(しぶ)く異土(いど)の味する

常(つね)ならぬ弾丸(たま)の重さよ腰骨を苛(さいな)みて止(や)まず弾薬(だんやく)盒(ごう)は

銃重く帯革(おびかわ)腰に喰(く)い入りて股(また)擦(す)り合えば歯がみして行く

大休止(だいきゅうし)せむ間もあらず朝明(あ)けの今入りし屯(むら)を通り過ぎゆく

路傍に眠る兵たち。横になれるあらゆる場所が寝床であった。

　　仙洞(せんとう)駅にて

底知れぬものと真向う心地して胸つまりつつ戦車見守る

胸騒ぎ波だつ心戦車の列砲塔(ほうとう)揺りて咫尺(しせき)に過ぎゆく

赤き星暗く印(いん)して底知れぬ力あるもの圧してやまぬ

我を乗せて動かぬ貨車の扉(とびら)より覗(のぞ)けば戦車の砲口(ほうこう)覗(のぞ)く

ゆっくりと砲塔(ほうとう)動き威嚇(いかく)のごと閃光(せんこう)吐きて砲後退す

貨車の戸によりそいてあれど得堪(えた)えずて見えぬ斜面に転(まろ)び下(お)りたる

ソ連軍のT34-85戦車。日本軍の高射砲並の威力のある主砲を搭載しており、日本軍のあらゆる戦車の装甲を貫通する威力があった。初めてこの戦車を見た日本兵にはまさに「小山のように」見えたという。その印象からこの戦車を「重戦車」と形容した日本人の戦記もあるが、ソ連では中戦車である。

　　樺林(かばりん)に着く

束(つか)の間(ま)の夢を破りて鉄路尽き樺林(かばりん)の闇(やみ)に列車停(と)まりぬ

戦車攻撃か鉄路尽きしか判(わ)かず列車は急停車する

鉄路尽くる曠野(あれの)に佇(た)ちて火の粉飛ぶ闇の彼方(かなた)に死のにおい嗅ぐ

大いなる火の環(わ)を闇に浮ばせて地獄絵(じごくえ)のごと牡丹(ぼたん)江(こう)燃ゆ

樺林。ここでいう樺林は地名であるが、このような樺林が広がっていたのかもしれない。

　　牡丹江(ぼたんこう)街道(かいどう)

轟々(ごうごう)と戦車の列の続きゆけば兵ら路傍(ろぼう)に伏して動かず

友軍とも敵とも判(わ)かぬ前燈灯(ぜんしょうとう)照らしつつ急ぐ戦車の列は

暁(あかつき)の光さし初め街道(かいどう)の難民(なんみん)の列に兵ら触(ふ)れゆく

頭巾(ずきん)かぶり子を負いし女難民(なんみん)の列にまじりて遠ざかり行く

避難民の群。男は根こそぎ動員されたため、集団は女子供と老人であった。ソ連軍の略奪・暴行、現地住民の襲撃などで辛苦を舐めた。

　　二七八(にななはち)連隊の陣地に登る

束(つか)の間の憩(いこ)い終わんぬ復帰すと中隊求め陣地に登る

連隊の主力求むと越えて来し幾(いく)山河(やまかわ)は兵炎の中

砲車(ほうしゃ)ひく列にまじりぬ同年の戦友(とも)らかたみにねぎらう中に

砲を移動させる日本兵。日本軍の砲の威力そのものはソ連に勝るとも劣らなかったが、如何せん砲弾が決定的に不足していた。関東軍主力は北満放棄の作戦に出たため、殿を引き受けさせられた部隊では砲があるだけでもマシであったという。

　　野茨(のいばら)の丘

野茨(のいばら)の花咲く丘に肉攻(にくこう)すと時待つ我ら夕方まけて

折り敷きて戦車待つ時野茨(のいばら)の花の命が心に触(ふ)るる

野茨(のいばら)の茂みにあれば目交(まなかい)に花びら揺れて尚(なお)時は来ず

敵待つと兵ら折り敷く丘の辺の野茨(のいばら)の花は夕光(ゆうかげ)となる

遠雷(えんらい)のごと砲声(ほうせい)のどよめきて出(い)で行きし兵の戦うらしき

野茨の茂み。著者の母は野茨を最も好んだ。死地に向うとき著者の故郷である阿蘇の野茨と母親を思い出したのであろう。

　　眼下に街道(かいどう)を望む

肌脱(はだぬ)ぎの兵ら陽気に砲座(ほうざ)にあり声掛け合いて引綱(ひきづな)をひく

目交(まなかい)の窪地(くぼち)に我の砲ありて撃(う)ち放(はな)つ時心昂(たか)ぶる

砲声(ほうせい)の共(むた)黒煙(こくえん)天に噴(ふ)き上げて街道(かいどう)の戦車即(すなわ)ち擱(かく)座(ざ)す

三個師団北支(ほくし)より急行すという声に兵ら斉(ひと)しく歓呼(かんこ)して起(た)つ

拳銃もて飛行機を射つ伍長(ごちょう)あり眼眇(まなこすが)めて子どもめきつつ

日本軍の重砲。日ソ戦では飛行隊、戦車隊、砲兵隊と全滅していき、最終的に歩兵による肉弾攻撃のみ残された。

　　砲撃(ほうげき)激しく

観測機(かんそくき)翼を返し飛び去(ゆ)くに敵の弾着(だんちゃく)ようやく正しく

飛来音(ひらいおん)みるみる近く誤(あや)またず身のあちこちに爆(は)ぜ飛ぶ大地

天と地と今は鳴り止(や)まず陽(ひ)もたけて我にきびしき戦(いくさ)とはなる

天地の砕け飛ぶ時眼(まなこ)くらみ打ち震(ふる)う壕(ごう)に暫(しば)し気(き)絶(た)えぬ

爆風に気を失いてありし間に傍(かたわ)らの友は死にていたりき

皮袋(かわぶくろ)破れし如(ごと)く血を噴(ふ)きてロケット弾に友は斃(たお)れつ

こときれし石田二年兵に膝(ひざ)まづき中隊長は呼びかけており

爆雷を身より離せと我に向かい中隊長は呼びかけて去る

ソ連軍の「カチューシャ」ロケット弾。ドイツ軍将兵から「スターリンのオルガン」と呼ばれたこの兵器は、敵軍の恐怖の的であった。著者の竹馬の友西村堅はロケット弾の破片により戦死している。

　　戦車近づく

キャタピラの響きおどろに地鳴(じな)りして這い登るらし見えぬ斜面を

　　攻撃正面

一大隊は突撃するらし低地より重機(じゅうき)かまびすし硝煙(しょうえん)の中

いつしかに機銃の音の小止(おや)みゆきてラッパと覚(おぼ)しき音が遠ざかる

　　陣地変換

第三機関銃陣地変換ぞと呼(よ)ばいつつ酒井軍曹(ぐんそう)は抜剣しており

肉攻手(にくこうしゅ)も共にやと訊(き)けば中隊長暫(しばら)くおきて共にと答(こと)う

陣地変換して更(さら)に戦わむ再び伸びし暫しの命

　　火線(かせん)を退(さが)る

爆雷(ばくらい)は誘爆(ゆうばく)して無し弾薬庫(だんやくこ)の重きをかつぎよろぼいてゆく

一木(いちぼく)の援護物(えんごぶつ)なき草の上榴(りゅう)散弾(さんだん)は煙幕(えんまく)を張る

ソ連軍の152mm榴弾砲。火力で敵を圧倒するのがソ連軍の伝統的な戦術である。

　　友に遅れて

いつしかに戦友(とも)に遅れて我がゆけば硝煙(しょうえん)の野に敵の佇(た)つ見ゆ

遅るれば独(ひと)りの我を追う如(ごと)く土は爆(は)ぜ飛ぶ野のあちこちに

我ひとり野にある心地(ここち)それて飛ぶ弾丸(たま)はするどく土をえぐりて

　　同級生、西村　堅(かたし)

機関銃抱きて憩(いこ)いし石の上ここにして友の死なんとはいう

行き着かむ際(きわ)まで今は行き着かむこの同窓の又なき友よ

新しき階級(かいきゅう)章(しょう)と附(つ)け替えて死にたしと言うを幹候(かんこう)の友

昭和18年から始まった学徒出陣。学徒兵の大部分は希望して「幹部候補生(幹候)」となった。短期間で将校となることが保証された彼らは下層階級出身の兵から陰湿ないじめに逢った。学歴のない兵はどれほど出世しても下士官どまりで、将校になることはなかったのである。

兵士たちの襟についているのが軍隊での序列を表す階級章。後列右から2番目が伍長の階級章。著者の友西村堅は戦死直前に伍長に昇進することが決まったという。

　　敵機(てっき)の襲撃

岩角(いわかど)に掃射(そうしゃ)よくると銃剣(じゅうけん)は銃より離れ谷間に飛びつ

急上昇してゆく敵機(てっき)仰ぐ時友の銃剣(じゅうけん)は銃先(つつさき)にあらぬ

ソ連軍のYak9-D戦闘機。南洋の歩兵の怨嗟の的がグラマンF6Fならば、満州の歩兵のそれはこのYakであったろう。

　　陣地薄暮(はくぼ)

闇(やみ)深くなりゆく陣地尋ね来て友の名呼ばい呼ばいつつ行く

　　夜の闇(やみ)に

前照灯(ぜんしょうとう)闇(やみ)に明かりて戦車群屯(たむろ)するらし野のあちこちに

野を包む闇(やみ)の深きに腹ばえばエンジンの音小(こ)止(や)む時なし

　　死闘(しとう)の朝

遁(のが)るべき途(みち)なきままに丘の上の陣地の朝は白(しら)み初(そ)めたり

歩兵二七八(にななはち)連隊最後の日なり丘の上に暑き一日(ひとひ)が今明けてゆく

昭和二十年八月十六日この丘に今日の戦(いくさ)は死闘(しとう)とならむ

昭和20年8月15日の終戦の詔勅を報道する8月16日付大連日日新聞。二七八部隊はこの詔勅を知らずに戦い続けて全滅した。

　　勅諭(ちょくゆ)唱和(しょうわ)

連隊旗あり連隊長がおり生残(せいざん)の兵集まりぬ小高き丘に

生残(せいざん)の兵佇立(ちょりつ)して唱和(しょうわ)する軍人(ぐんじん)勅諭(ちょくゆ)忠節(ちゅうせつ)の項(こう)

軍人(ぐんじん)勅諭(ちょくゆ)忠節(ちゅうせつ)の項(こう)朝(あさ)靄(もや)を震わせて四百の兵凝然(ぎょうぜん)と佇(た)つ

陸軍幼年学校における軍人勅諭奉読。軍人の守るべき道について述べたこの詔勅を暗記することが兵にとっての義務であった。

　　戦いの前

軍靴(ぐんか)はきしままにちぎれし片脚(かたあし)が砲弾(たま)に刈られし黍(きび)の葉に乗る

飢えを癒(いや)す黍(きび)の若実(わかみ)をもぎおれば雲一つなき青空となる

軍靴と巻脚絆。古年兵の軍靴と巻脚絆を外してたらいで足を洗うのは新兵の役目だったが、これをしない著者は古年兵から目の敵にされたという。

　　去来(きょらい)するもの

この幾日(いくにち)人さまざまの死を見たり我はいかなる死にざまならむ

　　戦闘

雄心(おごころ)をうち震わせて朝まだき敵は機関銃をはや射(う)ち出(い)でぬ

弾丸(たま)脚(あし)の忽(たちま)ち我に近づけば壕(ごう)掘りやめて草の根に寄る

右に左に草を薙(な)ぎつつ狙(ねら)い射(う)つ機関銃弾に兵は狩(か)られつ

支うべくもあらねば共にかけ登る稜線(りょうせん)は遠く斃(たお)るる戦友(とも)は

炸裂音(さくれつおん)いよよ激しくなりけば掠(かす)め飛ぶ銃弾(たま)を今は恐(おそ)れず

弾丸(たま)繁く(しげ)背後の山に移る時斃(たお)れし友は見るに由(よし)なく

ソ連軍のマキシム重機関銃。日露戦争以来日本兵の血を吸い続けてきた機関銃である。

突撃するソ連兵。

　　最後の陣地

陸続(りくぞく)と山の斜面を下りて来る敵は機銃を腰だめにして

主(ぬし)放れし小銃拾い彼射(う)てと近づく敵に声うわずりて

繰り返し肉攻手(にくこうしゅ)我を呼ばう声銃声とキャタピラの響きにまじり

音立てて崩れゆく我が死生(しせい)観(かん)草に頭(こうべ)を伏して動かぬ

靴底を撃ちてとまりし砲弾の破片鋭(するど)く指の腹灼(や)く

呼ばれ行きし中島薩摩(さつま)上等兵(じょうとうへい)見守る時に硝煙(しょうえん)上がる

硝煙(しょうえん)に戦車隠るる肉攻(にくこう)手(しゅ)中島薩摩(さつま)爆死(ばくし)する時

擱座したソ連軍のT34戦車。日本の対戦車砲や戦車では歯が立たぬこの強力な戦車に対する有効な攻撃は、歩兵が爆雷を背負って戦車の下に潜り込む肉弾攻撃(正式には肉迫攻撃)しかなかった。当然のことながらこの攻撃が成功すると肉攻手は爆死する。空の「神風」、海の「回天」と並ぶ陸の特攻である「肉攻」は後世語られることが極めて少ない。前二者と違い、あまりにも無残で不合理なため、美化することが不可能なためだろうか。

　　その夜(よ)

闇(やみ)迫(せま)る窪地(くぼち)を出(い)でて友軍(ゆうぐん)の未(いま)だ亡(ほろ)びぬ陣地を探(さが)す

　　

　　敗兵(はいへい)となる

掌(てのひら)につきて離れぬ血の臭い硝煙(しょうえん)の臭い嗅(か)ぎつつ歩く

昨日(きそ)の血の指を伝いて手の甲に流るるが見ゆ幻(まぼろし)のごと

幾日(いくひ)とらぬ軍靴(ぐんか)を脱ぎて足首を田の水に漬(つ)くる歩き疲れて

　　夜の青田(あおた)

夜の青田(あおた)天に連なる畦道(あぜみち)を辿(たど)れば蛙(かえる)鳴きて止(や)まずも

銃負いし敗兵(はいへい)幾人(いくたり)天に届く蛙(かえる)の声を聞きつつ夜行く

刈り入れ風景。日本人の満州に持ち込んだ米は華北人の主食を変えた。かつて主食だった高粱は現在では酒造用に細々と作られるだけで、一面の水田風景が広がる。

　　闇(やみ)の中

息絶えし汝(なれ)に要なき口糧(こうりょう)を今はた探(さぐ)る夜盗(やとう)の如(ごと)く

黒々と闇(やみ)に聳(そび)ゆる大杉の根かたに寝しく時も知らなく

　　民家に入る

食乞(こ)うと民家の土間(どま)の食卓に手榴弾(しゅりゅうだん)置けばふと色変えつ

安全栓(せん)外ししままに握りいし手榴弾(しゅりゅうだん)はも今し気づきつ

銃抱きて民家の土間(どま)に今啜(すす)る粟(あわ)の水粥(みずがゆ)味のよきかも

銃抱きて馴(な)れぬ水粥(みずがゆ)すする時我(われ)等(ら)敗(ま)けしを今は疑わず

銃に置く若き農夫の眼の畏(おそ)れ敗残(はいざん)の我らひそかに見たり

農民の家族ひそかに畏(おそ)るるを銃抱く我ら快(こころよ)く見つ

日本軍の手榴弾。

　　二中隊の兵に遇(あ)う

肌脱ぎて見馴(みな)れぬ軽機(けいき)担(かつ)ぎ来る異装(いそう)の兵は友軍(ゆうぐん)にして

二中隊突撃の時に奪(と)りしという銃身(じゅうしん)の長き軽機(けいき)を担(かつ)ぐ

丸く重きズックの袋拏捕(だほ)したる軽機(けいき)の弾巣(だんそう)手に持ちて見る

伏せた兵士の撃っているのがソ連軍のデグチャリョフ軽機関銃。

ロシアの歌

狙(ねら)いつつ射たぬ真下を轢轆(れきろく)の響き残して輜重車(しちょうしゃ)過ぎゆく

引鉄(ひきがね)に指は懸(か)けつつ敵が歌うロシアの歌を目交(まなかい)に聞く

もの哀(がな)しきはロシアの歌か死の顎(あぎと)開くを知らず相(あい)別れゆく

　　八八(はちじゅうはち)部隊の陣地を過ぐ

この丘は我が戦いし丘なりと杉兵長(へいちょう)は登り去りゆく

隣(となり)せる八八部隊の戦いし丘といえるを見てすぎてゆく

　　

　　四面(しめん)みな敵

見る限り周りを敵に囲まれて真昼を眠る銃を挟(はさ)みて

敵のいる昨(きそ)の陣地の近ければ真昼を眠る松の林に

　　敵中を横ぎる

行くところなきこの我らはも一人一人敵の輜重(しちょう)の列を横切る

灰色の軍服の列輜重車(しちょうしゃ)と続きて敵は遠ざかりゆく

　　陣地を彷徨(さまよ)う

身に着けし雑嚢(ざつのう)の中は貧しくて草に臥(こや)しぬロシヤの兵は

粗末なる戎衣(じゅうい)まといし死屍(しし)若し傍(かたわ)らの狙撃銃(そげきじゅう)拾い上げて見る

人知れず斃(たお)れし異土(いど)の草むらに末期(まつご)の思い残しし汝(なれ)か

顔ははや碧(みどり)となりてのけざまに倒れし戦友(とも)よ名も知らなくに

眼(まなこ)開き腕はひろげて斃(たお)れたる横を過ぎゆく明日(あした)は知らず

砲車(ほうしゃ)覆(くつがえ)り迫撃(はくげき)砲弾(ほうだん)散乱す友軍(ゆうぐん)潰走(かいそう)の丘の斜面に

戦いの跡(あと)に来たれば巾(はば)広き戦車のわだち草を蹂(にじ)りて

日本軍の迫撃砲。羽根付砲弾を高い角度に発射する。

　　情景

敵機低く頭上に来れば臆(おく)してや挙動おかしも病める軍医は

黙(もだ)すべしせずば射(う)たむとT軍医拳銃(けんじゅう)挙(あ)げて狂える如(ごと)し

繃帯包(ほうたいほう)誰や持たぬと軍医問えば眼を暗くして兵は黙しぬ

兵ら斉(ひと)しく暗き眼をもて銃とれば臆(おく)せる将校ら急ぎ離れゆく

うす甘き未熟の西瓜(すいか)貪(むさぼ)り食い中隊を異(こと)にする兵ら草に坐す

軍医の服装。写真は沖縄戦で自決しようとするひめゆり学徒を諭し、生きて還らせたという小池勇介軍医。

　　豪雨(ごうう)の夜

雷(いかずち)の鳴りはためけば蒼白(あおじろ)き友の面輪(おもわ)を闇(やみ)の間(ま)に見つ

天鑓(てんけん)のごと雷(いなずま)の奔(はし)り降(お)りて雨に水漬(みづ)きし兜(かぶと)を照らす

天の怒り止(や)むひまもなし野の闇(やみ)に沛然(はいぜん)として雨落ちたぎつ

寄るべなく身を寄せ合いし友と我漬(ひ)じ透(とお)りつつ野にうづくまる

雷(いつずち)の鳴りはためけば鬼火(おにび)なす光放ちて銃先(つつさき)燃ゆる

　　密林(みつりん)に分け入る

汁多きつぶらに赤き草の実を摘(つ)みては吸いつ実の次々に

バイコフを読みしは昔今を行くここ東満(とうまん)の密林(みつりん)の道

夕されば木をひき結び葉を葺(ふ)きて兵ら密林(みつりん)の瘴気(しょうき)を防ぐ

陽(ひ)も射(さ)さぬこの密林(みつりん)に命終えし巨木(きょぼく)倒れて若木をひしぐ

バイコフは亡命ロシア人作家。著者が読んだのは『偉大なる王』という、アムールの虎を描いた小説だと思われる。写真は虎に襲われたロシア人。

　　露営(ろえい)の夜

夜風身に沁(し)み入る如(ごと)し火に坐(ざ)せば狼(おおかみ)の声闇(やみ)に尾をひく

狼(おおかみ)の遠吼(とおぼ)え消えぬ孤独なるけもの命身に触れて聞く

ソビエトの重き異形(いぎょう)の鉄兜(てつかぶと)何時よりか我が鍋(なべ)とはなしつ

密林(みつりん)の瀬(せ)降(ぶ)りの闇(やみ)に炎揺らぎ精白(しら)げぬ黍(きび)は鉄帽(てつぼう)に煮ゆ

射抜(いぬ)かれし胸をかばいて坐(ざ)せる友幽鬼(ゆうき)の如(ごと)く幾日(いくひ)堪(た)え来(き)し

生きているを不思議と思えども重傷(いたで)の友は闇(やみ)に立ち行く

ソ連軍の鉄兜。日本軍のものよりもずっと鉄が厚く、煮炊きに使いやすかったという。

　　啄木鳥(きつつき)の林

朝まだき林にあれば啄木鳥(きつつき)は高きにありて幹を叩きつ

啄木鳥(きつつき)一羽高みにありて白樺(しらかば)の木肌(こはだ)を叩く余念もなしに

朝まだき狙(ねら)い外して木の梢(うれ)に射(う)ち放つ弾丸(たま)の行方(ゆくえ)知らずも

青空の深みに射(う)てば床尾板(しょうびばん)肩を圧して弾丸(たま)の音澄む

　　踏み分け道(みち)

再びは来る日もあらじ道に佇(た)つ若木の幹に我が名刻みつ

幾(いく)百里(ひゃくり)かくて続けるわが辿(たど)るこの東満(とうまん)の踏み分け道(みち)を

森を出て又森に入る草原の草を倒して続く道あり

　　苔(こけ)むす沢(さわ)

密林(みつりん)を我が出(い)で来れば陽(ひ)は降(ふ)りて苔(こけ)むす沢(さわ)に水の音する

身にそえて銃は離さず沢(さわ)なかの草踏み渡る靴は漬(ひ)じつつ

　　森に目覚む

たまきはる命を持ちてこの朝け目覚めすがしも銃さげて立つ

逝(ゆ)く雲に狼(おおかみ)の自由猶(なお)ありて沢(さわ)に水汲(く)み朝顔洗う

歯の痛み今朝は酷(きび)しも狼(おおかみ)の自由を持ちて死と隣りあう

　　友と別る

眼(まなこ)うるみ現(うつつ)ともなき友の足繃(ほう)帯(たい)解けば蛆(うじ)のこぼるる

傷口が痒(かゆ)しというに検(しら)ぶれば灯下(とうか)に白き蛆(うじ)がうごめく

銃弾にえぐり取られし親指の在処(ありど)に今は蛆(うじ)のうごめく

或(あ)る時は地にひれ伏して動かぬを銃を突きつけて歩かせて来(き)し

　　山路(やまじ)にて

薬莢(やっきょう)の尻に刻みしロシヤ文字襲撃の跡を語りてやまぬ

山路(やまじ)来てこの襲撃に遭(あ)いし人轍(わだち)乱してあわただしきも

　　開拓団(かいたくだん)

茫々(ぼうぼう)と髭(ひげ)を伸ばして地に坐(ざ)して兵を罵(ののし)る遣(や)るなきままに

　　東京(とんきん)城(じょう)郊外

渤海(ぼっかい)の古き都の片ほとり娘々(にゃんにゃん)廟(びょう)に銃抱きてあり

幻想のごと丸屋根の塔が見ゆかかる日のあり我の一生(ひとよ)に

塗り剥(は)げし粘土の像を見守りて暫(しば)しを憩(いこ)う戦い疲れ

東京城(とんきんじょう)指呼(しこ)の間に望みつつ沼地の中に又追われつつ

追わるれば憩(いこ)う間もなし葭(よし)分けて沼地を潜(くぐ)る犬を畏(おそ)れて

犬連れしソビエト兵と村人が葭(よし)の間を探(さぐ)り来る見ゆ

　　葬(はぶ)りの丘

草むらに陽(ひ)は静もりぬ遁(のが)れ来(き)し葬(はぶ)りの丘に青空近く

登り来(き)し葬(はぶ)りの丘の山査子(さんざし)の実は青空に赤く熟(う)れたり

習俗(ならわし)を知らねば漆(うるし)もて塗りし柩(ひつぎ)と知らず刃先にこじる

漆(うるし)もて塗りし柩(ひつぎ)の隙間(すきま)より朱(あけ)はこぼれぬ草柔らかき

心飢えて噛(か)み砕く時陽(ひ)に照れる山査子(さんざし)赤く蝋(ろう)の味する

山査子の実。後年、著者は年一回熊本に招請される「中国展」で山査子の蝋臭い菓子を買い求めては好んで食べた。

　　鉄路(てつろ)越え、河を渡る

しらじらと月照る畑に畏(おそ)れつつ雑嚢(ざつのう)に詰(つ)むる薯(いも)掘り起こす

自らを射(う)ちて已(や)まむと銃弾の五発を残し土に委(ゆだ)ねつ

動哨(どうしょう)の影目(ま)守(も)りつつ小夜(さよ)更(ふ)けて鉄路(てつろ)越ゆべき時とはなりぬ

歩哨(ほしょう)今橋のたもとに移りたり身を躍らせて鉄路(てつろ)を越ゆる

月光(つきかげ)の砕くる水を渉(わた)りつつ頭上に黒き橋梁(きょうりょう)仰ぐ

足もとに小波(さざなみ)砕け河未(いま)だ半ば渉(わた)らず胸たち騒ぐ

兵ら皆軍(ぐん)袴(こ)を脱ぎて括(くく)りたり護(まも)るものなき河渡りゆく

河を渡る日本兵。なにかというと肌を露出する日本人は儒教思想の強い中国・韓国人の顰蹙を買っていたという。

　　独(ひと)りとなる

笹原(ささはら)はただに騒(さや)ぎぬ目覚(めざ)むれば風吹く山に一人遺(お)かれて

丈夫(ますらお)の独(ひと)りとなりて今日よりは獣にもあらず曠野(あらの)に彷徨(さまよ)う

脚(あし)の痛み耐(た)え難(がた)ければ声挙げて哭(な)きつつ歩く我が慰(なぐさ)めに

孔子像。この項二番目の短歌は論語の「孔子曰、「詩云、『匪兕匪虎。率彼曠野。』」を下敷きにしていると思われる。著者の出身校である旧制熊本中学は「士君子教育」をモットーにしていた。

　　捕虜(ほりょ)となる

手榴弾(しゅりゅうだん)手(た)握りしまま手を挙げて死ぬべき時か今膝(ひざ)まづく

胸に手に機関(きかん)短銃(たんじゅう)さしつけて射(う)たむというに手をさしあげつ

畑中の小屋内にして膝(ひざ)まづき思いきや我がかかる日あるを

言(こと)通(かよ)わぬ異国の兵らとり巻きて肌探(さぐ)る時せむすべもなき

奪われし弾薬(だんやく)盒(ごう)よりはらはらと馬鈴薯(ばれいしょ)は地に転がり出でぬ

この月日我に愛(かな)しき小銃の遊底(ゆうてい)外(はず)し敵が投げ抛(なげう)つ

ソ連軍の機関短銃、通称「マンドリン銃」。

　　カザック兵の野営地にて

珍しき生き物を見る眼つきして敵は問うなり汝(な)が齢(とし)幾(いく)つと

手二つ叩(たた)きて指一つ立てて齢(とし)を言い我に訊(たず)ぬる碧眼(へきがん)の兵

ベルリンの戦(いくさ)より来たりつと赤旗(せきき)章(しょう)我に指さして誇る

暁(あかつき)は冷えまさりたり哨兵(しょうへい)は眠らぬ我の襯衣(シャツ)をひ剥(は)ぎぬ

昨夜(よべ)一夜(ひとよ)我を目守(まも)りし哨兵(しょうへい)は声を荒げて我を起(た)たしむ

野に群れて軍袴(ぐんこ)に赤き筋(すじ)いれしカザアク兵は朝餐(あさげ)煮るらし

暁(あかつき)の光は見たりさらばあれ今日の歿(い)り日は見ることもなし

ソ連軍の騎兵。コサック(カザフ民族)は1917年のロシア革命の際に反革命の立場を取ったため、中央アジア(現在のカザフキタン共和国)に強制移住させられるなど、苦難の道を歩んだ。騎馬民族であり馬の扱いに慣れていた彼らは、軍隊では騎兵となることが多かった。

　　曳(ひ)かれ行く

銃剣(じゅうけん)もて追わるる如(ごと)く歩きゆく行手(ゆくて)に機銃(きじゅう)の断続音(だんぞくおん)す

生贄(いけにえ)のごと曳(ひ)かれゆく我なれば植民地の民も今は畏(おそ)れず

片手もて我を首切る手真似(てまね)して我が着し服を眼に欲(ほ)りており

雑嚢(ざつのう)は遺(お)きて行くべく強(し)いられぬ死にゆくものに要なしというか

死屍(しし)となりし後に頽(すた)れむ我が衣服敵兵に随(つ)きて乞(こ)いいる土民(どみん)

憎しみを今は露(あら)わに我を見つつ我が着る衣服敵に乞(こ)うらし

便衣隊(中国軍のスパイ)の疑いで射殺された中国人。侵略した軍隊の常として、日本軍も周囲の敵意に囲まれ、疑心暗鬼になり、それが残虐行為につながり、さらに敵意を生むという悪循環があった。

　　俘虜(ふりょ)の群北上す

荷車(にぐるま)の台にうつ伏せ揺れてゆく病兵(びょうへい)の脚折れて垂れたり

街道(かいどう)を埋(うず)めて続く俘虜(ふりょ)の列雲だに湧(わ)かずその日ざかりを

監守兵(かんしゅへい)年少(わか)ければ気負いつつ自動(じどう)小銃(しょうじゅう)空向けて射(う)つ

一連射(いちれんしゃ)二(に)連射(れんしゃ)しつつ自動(マンド)小銃(リン)空にさしあげソ兵駆(か)り行く

大いなる向日葵(ひまわり)の花かかげ持ちて廻(まわ)しつつ食う馬上のソ兵

日盛(ひざか)りに舞い立つ埃(ほこり)来(き)し道を再び北へ我が追われ行く

休憩する俘虜。日中戦争は日本では「支那事変」と呼ばれて戦争と見なされなかったため、中国軍に対してジュネーブ条約に基づいた捕虜の扱いがなされず、また、日本軍の兵隊は『戦陣訓』に基づいて捕虜となることを禁止されていたため、日本軍にも建前上は捕虜が存在しなかった。このことが現在まで続く日中間の幾多の軋轢を呼ぶことになった。

　　再び牡丹江(ぼたんこう)へ

身一(みひと)つの俘虜(ふりょ)とはなりて再びを還(かえ)りゆくべく無蓋(むがい)貨車(かしゃ)に乗る

鹵獲(ろかく)せし重機(じゅうき)操(あやつ)りたわむれに貨車に折り敷き鳥射(う)つソ兵

我も又昨日は射(う)ちし友軍(ゆうぐん)の九二式(きゅうにしき)重機(じゅうき)ソ兵は射(う)つも

機関銃の弾丸(たま)乱れ飛ぶ河岸(かわぎし)に水鳥騒ぎ蘆(あし)に群立(むらだ)つ

水鳥を射(う)つに厭(あ)きしか銃口(じゅうこう)を又向け変えぬ見守る俘虜(ふりょ)に

日本軍の92重機関銃。写真は満州国軍。

　開拓(かいたく)団員(だんいん)

子を殺し妻を失(うしな)い身一(みひと)つを逃げて来て夕(ゆうべ)もの煮る漢(おとこ)

仄暗(ほのくら)き廃墟の壁にひとり向い缶詰の殻に物を煮ており

昂(たか)ぶりて子を死なせしを語りしが今はもの言わず火に向かいおり

口糧(こうりょう)をそこばく持ちてもの言わず階級(かいきゅう)章(しょう)無き漢(おとこ)人と離(さか)りて

弥栄(いやさか：日本での万歳)を唱える開拓団員。日本国内では生活するのが困難な人々が国策として満州に送り込まれた。関東軍はソ連軍侵入に際して北満を作戦的に放棄したため、北満に入植していた開拓団員は悲惨な運命を辿った。

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