第三部 収容所(ラーゲル)の歌

 

路上にて

(たが)()れし味噌樽(みそだる)一つ路上にあり列を乱して駆け寄る捕虜(ほりょ)

塩ねぶる獣の(ごと)く指先にみそにじりおり捕虜(ほりょ)幾人(いくたり)

この月日塩気(しおけ)絶たれし捕虜(ほりょ)なれば獣めきたり味噌(みそ)ねぶる時

 

説明: 食事する兵隊

路上で食事する兵士たち。満洲の深深と冷え込む大地での露営は辛いものだった。ましてや自由を奪われ、食糧も満足に与えられない俘虜には寒さが応えたことであろう。

 

  蘭崗(らんこう)飛行場

天井の高く空しき格納庫(かくのうこ)に寝しかんとする肌は冷えつつ

なかなかに眠らぬ夜か(まなこ)開けて大地の冷えを背に敷いている

(いたずら)に大豆の殻のはじけたるここの畑よ()る人なしに

(つばさ)(やぶ)れし練習機一機前に居て捕虜(ほりょ)群がりぬ(いこ)いの時を

 

説明: 95式中間練習機

日本陸軍の95式中間練習機。海軍の93式とともに「赤とんぼ」と呼ばれて親しまれた機だが、これに乗って特攻に出た学徒兵もいたという。

 

  掖河(えきが)の臨時収容所(しゅうようじょ)にて

(たと)うれば蝗害(こうがい)のごと(はた)つ物見渡す限り食い尽くしたり

(はた)つ物(いなご)(ごと)く食い尽くし幾千(いくせん)俘虜(ふりょ)明日(あした)を知らず

板壁を()がし床板(ゆかいた)を割りて(たきぎ)とはする昨日の官舎(かんしゃ)

柔肌(やわはだ)の未だ腐らず同胞(はらから)の女死にたり(たたみ)の上に

 

説明: 犠牲になった邦人女性

戦闘の犠牲になった女性と子供(この写真はサイパン島のもの)。戦闘の弾に当たる以外に、満洲在住の邦人女性にはソ連軍によるすさまじい暴行があったという。

 

  ()()

下腹(したばら)()()(がた)くくぐまりて(ののし)られつつ()をおし下ぐる

紐解(ひもと)くに(いとま)あらなく地に(きょ)して尻突かれつつ(くそ)まりており

 

  俘虜(ふりょ)病院

部屋ごとに打ち付けられし標識のスラブの文字の馴染(なじ)(がた)しも

(たけ)高き看護婦ありて(あら)らかに()みたる俘虜(ふりょ)(ほと)の毛を()

 

説明: 掖河兵舎

掖河の兵舎。ソ連軍侵入まで兵舎や官舎として使用されていた建物が臨時の収容所となった。

 

  アメーバ赤痢(せきり)

日に一錠の薬飲みつつ屋根抜けし(かわや)に通う()うが(ごと)くに

(かわ)(いや)しし戦いの日の記憶今にして思う罹患(りかん)の時を

田の中によどめる水の水垢(みずあか)のかの日の記憶に下腹(したばら)痛む

 

  

  デスカメラ

入浴とは空言(あだごと)にして(ふる)えつつ手桶(ておけ)一つに体を洗う

おのがじじ(ほと)をはだけて(うろこ)づき()()からびし手足をこする

蒸気もて(しらみ)殺すとひ()がれて裸の(ゆか)俘虜(ふりょ)い並びぬ

 

註:デスカメラとは被服の蒸気消毒をいう。

 

  病棟(びょうとう)の冬

石炭の置場(おきば)にしゃがみ指かじけ雪に(こお)りし(かたまり)を掘る

()れ厚く(おろ)しし俘虜(ふりょ)使役(しえき)(へい)獣めきたる(ひとみ)光らせ

 

  俘虜(ふりょ)大隊

牡丹江(ぼたんこう)の氷を割りて水()むと使役(しえき)の兵の吐息(といき)白しも

牡丹江(ぼたんこう)河面(かわも)(こお)(なまり)なす空の真下(ました)自動(じどう)貨車(かしゃ)()まる

川岸の石に腰かけ看守兵イワンが歌うスラブの歌を

肌を刺す風に真向かい河に歌う看守兵(かんしゅへい)の歌の調べが(とお)

 

説明: 凍結した牡丹江

凍結した牡丹江を渡る人。満州の河は冬には凍結するため、川の水を汲むためには氷を割る重労働が必要であった。

 

 

  熱に倒れて

うつ伏して倒れしままの耳元に死期を(うらな)う人の声する

見え()かぬ眼を見開きて壁(づた)い熱に(ほう)けし身を運びゆく

かかる所にかかる死を選ぶべき熱にうるみし目を()らしいる

 

  疫病(えきびょう)猖獗(しょうけつ)

(かつ)がれて夜半(よわ)に入り来し隣の人静まりにけり明け方死にて

(しかばね)に足踏みかけて防寒(ぼうかん)半袴(はんこ)我れと着るべく我が脱がせいる

(しかばね)に要なき(はんこ)容赦(ようしゃ)なく脱がせて夜明け我が穿()きている

 

  栄養(えいよう)失調(しっちょう)

人間でなくなることを()している栄養(えいよう)失調(しっちょう)という名の(やまい)

食うことのほかに願いを失いし人の(かな)しさやがて死ぬべく

凍土(いてつち)に身をかがめたる俘虜(ふりょ)ありて今し()いさしの煙草を拾う

 

  不正(ふせい)不義(ふぎ)

色白く女の(ごと)兵長(へいちょう)の唇赤き鼻につく日々

性直(さがなお)関特演(かんとくえん)の兵隊に偽軍曹(にせぐんそう)が言い(つの)りおり

註:関特演とは、昭和十七年関東軍大演習に際して召集されし古年次兵をいう。

階級を(かた)()れ者とひそかには知りながら人(くっ)しているも

不正(ふせい)不義(ふぎ)徒党(ととう)を組める下士官(かしかん)車座(くるまざ)になりて何か煮て食う

日毎夜毎(ひごとよごと)悪が栄えてはばからぬこの病室に死ぬなかれ人

貪欲(どんよく)なること豚の(ごと)きが炊事場に()くいて女患(にょかん)愁波(しゅうは)を送る

 

説明: 食事する兵士

地べたに座り食事する兵士。極貧の家族の口減らしのために志願したり軍隊に残留したりして、理不尽な長い戦いを経験した下士官たちの至上命題は「生き残ること」であった。特権的な地位を捨てて「国のために死ぬ」ことを決意した、純粋で軍隊生活の短い学徒兵とは決定的な価値観の差があった。

 

  ()えゆく日々

大麦の(のぎ)をよけつつ一粒一粒かみしめて食うその薄粥(うすがゆ)

(きび)(がゆ)をすすり終わりて底に沈む(さけ)骨屑(ほねくず)(しば)し味わう

ほしいままに命の(かて)を分け取りてあからさまなり不正の(やから)

(とぼ)しきはなお()(やす)し分け取りて身は(すこ)やかに肥えゆく(やから)

病人の(むれ)にもぐりて病人の血を吸いて飽かぬ恥なき人々

飯盒(はんごう)中子(なかご)()たぬ薄粥(うすがゆ)血肉(ちにく)にせむと(ひま)かけて食う

思うこと食うことにのみ()ち行きてその日々の(はて)栄養(えいよう)失調(しっちょう)が待つ

 

説明: トウモロコシを食う兵隊

行軍の途中で畑を見つけ、トウモロコシを食う兵隊。「現地調達」と呼ばれたこの略奪行為は現地住民に深い恨みを残した。

 

  

  死さまざま

ほそぼそと話していしががっくりと首を落としぬ()やこときれて

顔は(はや)や仏となりてもの言わず命()くるを待ちている人

 

  (おんな)軍医(ぐんい)

女軍医(おんなぐんい)少女の(ごと)(ほこ)りかに髪吹き(さら)し寒風に立つ

若き軍医(ぐんい)防寒帽(ぼうかんぼう)()れ上げて髪なびかせぬ酷寒(こっかん)の中に

乙女(おとめ)めき頬に(くれない)の血をさして女軍医(おんなぐんい)()み美しき

 

説明: ソ連の女軍人

ソ連の女軍人(パイロット)。内戦・粛清と独ソ戦で多数の男子が死に、労働力が常に不足していたソ連は、女性の社会進出が最も進んだ国の一つであった。労働力の不足は戦後長らくたっても解消されず、日本軍俘虜のシベリアでの強制労働という、国際法を無視した暴挙につながっていく。

 

 

  知る限りの人人

よき人は皆死にたりき温顔(おんがん)の浜島二年兵(にねんへい)もその一人にて

馬島教官よき人なりき退(さが)る時砲側(ほうそく)に胸()たれてありき

中隊(ちゅうたい)を異にしてより会わざりき友の死にざまこの(ゆうべ)聞く

磨刀石(まとうせき)に戦い死にき中学の同窓の友は機関(きかん)銃射(じゅうう)

−平井英樹

平陽(へいよう)の病院にしてゆくりなく()いて再び行方を知らぬ

−矢作太郎

(あかつき)に酒()みかわし(われ)は行き(なれ)は残りし八面通(はちめんつう)陣地(じんち)

−田中正信

(やみ)迫る陣地を下りて西東別れし友は如何(いか)になりけむ

−徳永正明

国境の陣地にありしまで知りぬ歩兵砲(ほへいほう)なりし童顔の友

−田上政博

 

説明: 戦死者の埋葬

戦死者の埋葬。日ソ戦で亡くなった人には埋葬の暇さえ与えられず、多くが荒野に屍を曝した。一人一人が親兄弟を持ち、祝福の中に生まれ、慈しみを以って育てられたかけがえのない存在であるのに。

 

  内務(ないむ)(はん)の思いで

淡雪(あわゆき)降る四月の野辺(のべ)匍匐(ほふく)して機関銃(きかんじゅう)()きし足蹴(あしげ)にされつつ

平陽(へいよう)

初年兵の我は愚直(ぐちょく)なる兵士にて機関銃(きかんじゅう)前棍(ぜんこん)もて打ち(たた)かれし

憎しみに胸煮えし日も多かりき中島上等兵(じょうとうへい)もかの日に死にき

いや果てに大きく赤き夕陽(ゆうひ)ありて沈みゆく時砲を()きしか

−砲受領(じゅりょう)

営倉(えいそう)に入る友が(ひも)ちぎりいし部隊移動の夜の思いで

針吹雪(はりふぶき)ただにふぶける野に()して(こお)れる(いい)をかつかつ()みつ

揚崗(ようこう)より平陽(へいよう)

(あんず)の花白く咲き()つ海越えて軍旗(ぐんき)迎うる日の営庭(えいてい)

 

説明: 戦場での入浴

戦場で水浴びする兵士たち。軍隊の濃密な人間関係は一方で見ず知らずの人間同士を固い絆で結んだが、他方、階級や価値観を異にする同士には決定的な乖離と憎悪をもたらす場合があった。

 

  満洲(まんしゅう)への(みち)

霏々(ひひ)として雪は降りつぐ国境(くにざかい)図們(ともん)の駅の白き思いで

昭子(あきこ)我を追いつつ呼びかけし()で立ちし夜の熊本の駅

同胞(はらから)が深夜の駅に我を呼びし(かな)しき声のなおも(きこ)ゆる

今宵(こよい)かもちちのみの父の我を送り夜の暗きに(つまづ)くが見ゆ

柞葉(ははそは)の母()うままに稚児(わくご)めき明日は()く夜を(いだ)かれて寝し

名も聞かぬ興凱湖(ハンカ)のほとり粉雪(こなゆき)降る人無き(わた)り我は来にけり

−第十二国境守備隊

 

説明: 出征する兵士

出征する兵士とその妻。幾千万の母が、妻が、姉妹が、恋人が、二度と還らぬ男たちを待ち続けた。著者の親友西村堅の母は、著者が戦死の時の様子を伝えに行っても信じず、「あの子はのんびりした子だったから、きっと中国人に助けられて子供として暮らしているに違いない」と言ったという。

 

  看視塔(かんしとう)

空堀(からぼり)()ち殺されて横たわる雪にとまりし(からす)(ごと)

(やぐら)高く(なまり)の空に組み上げ哨兵(しょうへい)の今日も(ねら)うが(ごと)

 

  再び大隊(だいたい)

同郷の人ありと知りて訪ぬれば高粱(こうりゃん)のふすま練りてもてなす

阿南兵長(へいちょう)は阿蘇の人なり語り飽かぬ故里のこと生い立ちのこと

軍曹(ぐんそう)階級(かいきゅう)(しょう)を付けて()し懐かしき人にめぐり逢いたり

したたかなる(おとこ)となりて西(しべ)利亜(りあ)の冬の使役(しえき)(きび)しさを説く

−田中信生

 

  冬の使役(しえき)

足踏(あぶ)みして使役(しえき)待つ時極寒(ごくかん)の暗きみ空に星消え残る

青空に真日(まひ)は照れども刺す風の痛みは()まず吐く息(こお)

凍土(いてつち)に掘り難き穴掘らんとし煉瓦(れんが)(くれ)突棒(つきぼう)に砕く

(ようや)くにノルマ終わりぬ特配(とくはい)(にしん)胎子(はらご)惜しみつつ食う

釜底(かまぞこ)()げを(もら)うとおとなしく使役(しえき)俘虜(ふりょ)は順に並びぬ

 

説明: 収容所新聞を読む俘虜

収容所内の日本人教育用新聞を読む俘虜。ソ連や中国共産党軍(八路軍)に捕まった兵隊には共産主義教育が待っていた。

 

  糞舟(くそぶね)()

雪まじり(こお)りし(くそ)を折り曲げしトタンの舟に盛り上げて()

(くそ)積みしそりの曳綱(ひきづな)肩に掛け背を折り曲げし俘虜(ふりょ)(かたみ)に往き来す

 

説明: 強制収容所

ソ連の強制収容所。船が見えるため、沿岸のものであろう。収容所の多くは内陸の極寒の地にあり、ここで命を落とした日本人俘虜は厚生省が把握しているだけで6万人以上、一説には37万人以上という。

 

  俘虜(ふりょ)大隊(だいたい)、再び西比(しべ)利亜(りあ)に向う

病癒(やまいい)えて再びを俘虜(ふりょ)北へ行くグロテコフかはたカザフスタンか

ウスリーの()くるを待たず国境(くにざか)い今日か越え行く帰る日無しに

貧しき()手に手に持ちて俘虜(ふりょ)の列道を隔ててすれ違いゆく

友ら皆北へ向う日貨車に()を積み込みており弱兵(じゃくへい)我は

説明: 満鉄の機関車

鉄橋を渡る南満洲鉄道の機関車。もともと日本の中国侵略は満鉄の鉄道利権の獲得から始まった。それが日本軍俘虜の強制労働のために使われたことは歴史の皮肉である。

 

  ソ連軍撤退(てったい)

北の国に向けて今発つ機関車の後尾(こうび)火夫(かふ)()して旗ふる

残すものなくトタン板まだも山積みて故国(ここく)へ帰るソビエト兵は

ドスビダーニャ(さようなら)今北国へ帰りゆくソ兵を乗せし最後の機関車

人のよきソ兵が問いぬルスキー(露人)キタイスキー(満洲人)(いず)れかよきと

長く重き月日なりしか肌の色の違いはついに()るることなく

 

説明: ソ連の汽車

ソ連の機関車。多くの日本兵をシベリアに運ぶとともに、略奪品を何から何までソ連に運んだ。

 

 

  収容所の春

収容所の垣根の外の()だまりに満人(まんじん)親娘(おやこ)(むつ)び合いたり

どろやなぎの嫩葉(わかば)()むと竿(さお)持ちて綿入(わたい)れの女並木道行く

春の(かり)北に渡れば故里(ふるさと)のただに恋しも海を隔てて

説明: 中国人の親子

中国人の親子。日本が侵略した中国東北部は中国を征服して大清帝国を建てた満州族の根拠地だったため、日本軍はその地の住民を民族にかかわらず「満人」と呼んだ。日本の傀儡国家満州国を正当化して「五族協和」を唱えていても、自らが「満人」と呼ばれたら激怒していたであろう。

 

  再会

生きて再び(あい)見ることの嬉しさは涙流るる(いだ)き合いつつ

友を遺きし傷みは猶も胸にあり指無き人の足を見ている

人のなさけ今宵(こよい)身に()む黒パンを(たずさ)えて()樺沢(かばさわ)二等兵(にとうへい)

 

  

  うわさ

日本の兵士(かたみ)に戦うてう(ゆうべ)うとましきうわさ聞きたり

砲兵(ほうへい)機関銃手(きかんじゅうしゅ)を募るという俘虜(ふりょ)()てし布令(ふれ)じっと聞きいる

幾年(いくとせ)の後かは知らず生き耐えて我は(かえ)同胞(はらから)のもとに

人の心(はか)りがたしも他の国の兵士となりて戦うという

 

  八路軍(はちろぐん)

(いにしえ)仁義(じんぎ)(いくさ)見る(ごと)し貧しけれども(むつ)び合いたる

まみ澄める八路(はちろ)の兵士(かたこと)に内戦のこと説きつつ()まぬ

衛兵(えいへい)の一人となりて小鬼(シャオクイ)が夕の門にふざけているも

この(ゆうべ)豆腐の汁を(かつ)()ぬ食足りしやと俘虜(ふりょ)に問いつつ

ひもじき思いもはやさせじと言いたりし八路(はちろ)のことば(まこと)となりぬ

 

説明: 凱旋する八路軍

日本軍からの鹵獲品を持って凱旋した八路軍。中国軍の中に毛沢東の共産党指導下の軍として新四軍と八路軍があった。「三大規律八項注意」という、人民から針一本盗ってはならぬという厳しい軍律を掲げた八路軍は、俘虜である日本人を感動させるものを持っていた。これを単なる宣伝上手と考える人もいようが、革命初期の軍隊は往々にしてこうしたピュアな部分を持っているものである。

 

  牡丹江(ぼたんこう)の春

牡丹江(ぼたんこう)河面(かわも)豊かに春は来て(いま)だ花咲かず水草漂う

茂みなす柳の小枝やわらかき穂花(ほばな)付けしが水面(みなも)に映る

 

説明: 満洲の春

満洲の春。共産軍の俘虜になった日本兵は、ソ連に捕まった日本兵とまったく違った運命を辿り、多くは終戦の翌年に帰国している。これが戦後の日本人の中国とロシアに対する感情に決定的な影響を与えた。

 

 

  現地自活

野積(のづみ)みせし砲弾の山に今は()れて(すそ)に触れつつ畑に通う

足首の骨(あらわ)れて昨日今日(さら)されており陣地の跡に

足首の骨二つ(そろ)(さか)しまに突き出しており草()()でて

砲弾(ほうだん)信管(しんかん)()りて(なげう)てば生きもののごと草に()ね飛ぶ

 

説明: 中国人俘虜の骨

日本軍により野に晒された中国人俘虜の遺体。主従所を変えれば野に晒されるのは日本人俘虜の骨であった。

 

牡丹江(ぼたんこう)(すなど)

火を()けし火薬の小缶(こがん)投げ込めばくぐもる音し水()き返る

()き返る水収まりて小波(さざなみ)に還りゆく時うろくず浮ぶ

 

説明: 川カマス

満洲の川で捕れたパイク(川カマス)。歌中の「うろくず」は魚の古語。

              

 

  耕作のよろこび

瑞々(みずみず)し汁がしたたる朝露に濡れし胡瓜(きゅうり)(むさぼ)り食えば

草の葉の露に乱れて南瓜(かぼちゃ)(おお)うこの処女土(しょじょつち)の豊かに肥えて

人間と生まれし心この月日衣食足りつつ畑に(いこ)える

朝露の(いも)の葉を踏み智慧(ちえ)深き准尉(じゅんい)の後に随う

山東菜(さんとうな)の苗植えており眼しわめし老いし准尉(じゅんい)に教えられつつ

 

説明: 満洲の南瓜

満洲の畑で採れた南瓜。北満の土地はともかく、南満の豊かな土地は「処女土」などではなく、中国人が耕した土地を日本人が奪ったものだった。

 

 

  恋

看護婦と下士官(かしかん)の恋のもの語り別の世のことの(ごと)くに聞きい

後手(うしろで)(いまし)められて(かえ)()駆落(かけお)ちを前に八路軍(はちろぐん)説く

下士官(かしかん)と看護婦の恋の許されて世帯(しょたい)持ちたり掖河(えきが)の町に

 

大いなる古き文化を持てる国の人の心の大らかなるよ

 

説明: 満洲娘

綿花を摘む中国人少女。「恋」の配役が日本人の娘と中国人の俘虜であったならばどれほどに惨たらしい光景が展開されたであろうか。我々日本人は自分たちが「小国民」であることをはっきりと肝に銘じていたほうがよい。

 

  掖河(えきが)()ちて故国に向う

秋の風(あした)に吹きぬ故里(ふるさと)に帰りなんいざ掖河(えきが)()ちて

 

  車窓(しゃそう)より

速度増しゆく貨車の戸に()り夕焼の掖河(えきが)の山々眼底(まなそこ)()

後髪(うしろがみ)ひかるる思い(きそ)の夏戦いし丘が視野を去りゆく

胸つきてこみ上ぐるもの友の骨(うず)まる山が遠ざかりゆく

 

  哈爾賓(はるびん)

絵葉書に見しキタイスカヤの大通りハルビンはうら(さび)し灰色の街

八路軍(はちろぐん)の兵士手を振り国府軍(こくふぐん)汽艇(きてい)に乗りて松花江(しょうかこう)渡る

 

説明: キタイスカヤ通り

ハルビンのキタイスカヤ通りを闊歩するロシア女性。戦中戦後のしばらくはこうした光景も影を潜めていたであろう。

 

  瀋陽(しぇんやん)

赤き星の戦車乗せたり瀋陽(しぇんやん)の駅の広場の戦勝記念碑

 

説明: 奉天駅前

奉天(瀋陽)の駅前広場。満州族の故地であり、清朝時代、満州国時代と奉天と呼ばれたこの地は、新中国建国後、その呼称を嫌った漢族により瀋陽と呼ばれることとなった。

 

  四平(すーぴん)

内戦の兵士北上すと(ひし)めきて四平(すーぴん)の駅に今し下り立つ

 

  錦州(きんしゅう)

呼び売りの(とり)()げ来れば買えぬかと我も乏しき軍票(ぐんぴょう)(さぐ)

 

説明: 錦州の物売り

錦州の物売り。唐代から続く古都である。

 

  金州(きんしゅう)集注営(しゅうちゅうえい)

終日(ひねもす)を今日も船待ち心(かつ)(みち)に物買う人が(とも)しき

巻脚胖(まきぎゃはん)金に()えむと幼きに(かた)()られぬ金網越しに

親と娘と笑いさざめき我を背に(すそ)まくり尿(いばり)(はな)ち終え行く

つややかに(あぶら)づきたる尻見せて尿(いばり)放ちいる引き揚げの女

 

説明: 金州の南門

金州の南門。金州の近郊には日露戦争の激戦地である南山がある。

 

  壷蘆島(ころとう)

ゆるやかに太笛(ふとぶえ)流れ大陸を船は離るる日僑(にっきょう)乗せて

壷蘆島(ころとう)新墾(しんこん)の土赤くして埠頭(ふとう)静かに遠ざかりゆく

女子ども俘虜(ふりょ)にまじりて逐われゆく日僑(にっきょう)という名を背中に負いて

 

説明: 引き揚げ者

祖国への引揚者。命と引き換えに、全ての財産を失っての帰郷であった。否、外地で生れた人々にとっては帰るべき故郷を喪失した上での異国への上陸であった。

 

  夕暮れの海

大いなる海月(くらげ)たゆとう波の上に東支那海(ひがししなかい)の夕暮れが()

(ふさ)下げし絹傘(きぬがさ)のごとたゆたいて海月(くらげ)去りゆく暗き谷間に

恥多き命なれども今生きて父母(ちちはは)います国に帰りゆく

 

  博多(はかた)港外

あかあかと博多(はかた)の町の(ともし)見えて土を踏むべき明日し(おも)ほゆ

 

  家路(いえじ)につく

青空の余りに青く高ければ日暮るるを待ちて汽車(きしゃ)には乗らむ

 

  帰家(きか)

命生(いのちい)きて今帰り()し家の戸に手は()かりつつ開けかねにけり

 

短歌の部了

 

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