序・「葬りの丘」を推すことば
熊本日日新聞社 社長 島田四郎
敗戦から三十一年、これまでに出版された、或いは書かれた戦争の記録は無数に上る。しかし今度山口純彦さんが刊行する「葬りの丘」のような内容のものは寡聞にして知らない。
昨春、彼岸の中日、恒例の満ソ殉難慰霊祭を熊本県護国神社境内「殉難碑」前で行ったとき生存者代表として読まれた山口さんの追悼のことばは、悉く短歌をもって綴られたものであった。
その一つ一つが参列者の胸を強くうち、涙をさそう言句ばかりであった。私はそれを乞いうけて熊日の宗教欄に、「鎮魂の歌」と題して掲載した。純彦さんが、畏友山口白陽氏の令息であることもその時はじめて知ったのである。
みなさん、国民のみなさん、誰方もこの歌集をお読みになってください。当時の日本人は、兵隊は、このようにして戦い、傷つき、死んで行ったのです。戦場で生き残った者も、酷寒のソ連領で最悪の条件の中に重労働を強いられながら倒れて行ったのです。
私はシベリアに連行される途中、北満のノンジャンから黒河まで、十一日間の行進のみちで、破壊された敵戦車とともに放置されたままの多くの日本兵の死体をみた。山口さんは、最も戦いの激しかった東満部隊に所属していた。死闘と、打ちつづく苦悩のさまが、一首一首に万感をこめて鮮やかに描き出されている。山口さんは、戦友の弔いとともに、心の痛手を自ら慰め、またこの一巻によって世人への熾烈な訴えとしようとしている。
皆さん、悲惨な戦争を再びくり返さないためにも、この本をぜひ読んでください。私のことばは、唯このお願いだけです。