大阿蘇めぐり2005.3.26更新

1.表紙

2.目次

 ふるさとの山(序にかえて)

 阿蘇の関門

 変貌する赤水

 表玄関坊中

 草千里と火口

 よみがえる一ノ宮

 漱石と内牧

 遠見ケ鼻と大観峯

 温泉郷小国

 狭くなった横断道路

 文字どおりの波野

 南阿蘇の温泉

 壮んなる菜の花

 高森から馬見原へ

 

3.内容

 阿蘇の紀行文(というより観光案内)。阿蘇の観光名所が非常に要領よくまとめられている。各地の見所、歴史、まつわる文学、エピソードなど。

 

4.評

 『天草めぐり』同様、白陽の博識とうまく各地の特色をまとめる才覚には感心させられる。

しかし、さすがに阿蘇は出身地だけあって、あるときは観光地を汚す者たちに憤慨したり、あるときは温泉の画一化を嘆いたり、思い入れが深いようである。

それにしても、ほとんど写真がないのにその土地の光景がいきいきと浮かび上がってくる文才、うらやましい。

-序にかえて-が白陽の郷里観と、彼の人物そのものを表している。特定の才能を持って地方に生まれてくる者の典型なのだろうか。

-“山にあるものは山を見ず”という。

阿蘇に生まれて阿蘇に育ち、三十代の半ばまでもその地に暮らしながら、今にして思えば、阿蘇に対する認識のいかに浅かったことか。

(中略)

少年時代、夕方になると外に出て、夕陽の残光に染められたあの真珠色の空を眺めては、西部外輪山の切りそろえたようなスカイラインの向こうに、美しい空想の世界を描いて、うっとりと時をすごした記憶が今もしばしば郷愁を伴って思い出される。

そこには緑の草原がはてしなくひろがり、いぶし銀のように光る湖の畔、白い羊が点在して静かに草を食んでいる。−そうした世界がいつもイメージに浮かんだ。

それというのも、現実に住む阿蘇の自然が、私には茶褐色に塗りつぶされた、荒々しく、乾いた世界としか受け取られていなかったからである。阿蘇の象徴である阿蘇山にしてからが、毎日同じ顔をして視界をさえぎり、何かといえばザラザラしたヨナ(火山灰)を降らして、牛馬を悩まし養蚕を妨げ、家中を足の踏み場もなく汚す…。

だから三十数年前、熊本に移り住むときには、なんの未練どころか、心おどるような解放感をさえおぼえた、というのが本音である。

だが、外輪山を越えても少年の日の夢はむなしく、そこにもやはり索漠たる人の世があった。といっていまさら”涙さしぐみ帰る”わけにもいかず、いつか妥協と順応の生活に入ったのだった。

“ふるさとは遠きにありて思うもの”

 年が経つにつれて”阿蘇”はなつかしく心の中によみがえってきた。それでもなお私には、この間いくたびか登山の機会はあったが、戦後一度も阿蘇に登らぬという妻を伴って、数年前登山したとき、抑えきれぬなつかしさに、草千里のあたりで声をあげて泣き出した妻をみると、私も眼がしらが熱くなってきた。-

 

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